心に届く「祝い」の言葉を探して
――誰かへの応援が、確かな光となりますように――
「おめでとう。これからもさらなる成長を願っています」
SNSで見た友人の就職が決まった投稿にそうコメントしようとして、「返信」をタップする指が止まりました。
私の言葉は、本当にこの人に「祝い」となって届くんだろうか?
* * *
こんにちわ。オンラインライフコーチング There Will Be Answers. 常岡です。
私たちは誰かを思いやり、その人の幸せを願うとき、自然に応援の言葉を贈りたくなります。でも、時としてその純粋な思いが、図らずも相手の心に重圧を生むことがある。今日はそんな気づきから、「祝い」の言葉について、少し考えてみたいと思います。
どうすれば私たちの「おめでとう」は、そのままに相手の心に届くのか。
どうすれば「祝い」は、本当の意味で相手の力になれるのか。
重くなる「祝い」の言葉
私が会社員をしていた頃の話です。同じプロジェクトに取り組むチームメイトがいました。彼は私より後輩でしたが確かな技術力があり、機転もきいて、考える力もある優秀な人材でした。経験さえ詰めばすぐに私よりも戦力になると感じていました。
その彼に私はいつも「君ならきっとできる」「困ったときは必ずサポートする」「君は僕よりも戦力になれる人や」と声をかけていました。実際、わかりやすいように資料を作ったり、成果が出るように支援を続けていました。
そんなある日、彼が業務で小さいミスをしてしまい、へこんでいたので私はいつものように声を掛けました「大丈夫、挽回していこう。成長の学びやで」と。すると彼はこういいました「それがしんどいんです。教えてもらったり、サポートしてもらって感謝していますけど、やっと一つできたと思ったら、次、次と期待されて、十分にサポートもしてもらって、できひんことの言い訳もできなくて、、、常岡さんみたいにはなれないです。」と。
私はいつものように何か励まそうと思ったのですが、言葉が出ませんでした。ひょっとして今私が何を言ってもそれは「成長せよ、さもなくば価値はない」という「呪い」となって彼に届いてしまうのではないかと。
ポジティブな成長を願った言葉や態度がネガティブな影響を与えていたことに驚き、戸惑いました。
日本文化における「祝い」と「呪い」
日本語において、「祝う」と「呪う」という一見正反対に見える言葉は、実は同じ「まじなう」という古語にルーツを持ちます。「まじなう」には、言葉の力で現実に働きかけるという意味があり、その方向性によって、望ましい効果を願う「祝い」と、害を及ぼそうとする「呪い」に分かれていったのです。
この言語的な結びつきは、日本文化における「祝い」の両義性を象徴的に表しています。「おめでとう」という祝いの言葉には、良い状態が続くようにという願いと共に、その願いが叶わなかった場合への不安も内包されています。例えば、「どうか健やかに育ちますように」という七五三の祝いの言葉の裏には、健やかに育たないかもしれないという不安が隠れているのです。
つまり、日本の「祝い」は単なる慶事の祝福だけでなく、その状態が失われることへの不安をも包含した、複雑な心理を持つものと言えます。この文化的背景は、現代における「祝い」の言葉が時として重圧となってしまう一因かもしれません。
なぜ「祝い」は重くなるのか
考えてみれば不思議なことです。誰かの成長を願い、幸せを祈る気持ちが、どうして重圧に変わってしまうのでしょうか。
私たちは誰かを応援するとき、その人の「未来の姿」を思い描きます。「こうなってほしい」「こんな風に成長してほしい」。その思いは確かにその人の幸せを思い、温かく、優しいものです。
でも、その思いの表現が、知らず知らずのうちに、相手の歩む道を狭めてしまうことがある。「期待に応えなければ」という思いが、本来自由であるはずの成長の道筋を、一本の線に縛ってしまう。
そして何より、私たちの「祝い」の言葉は、時として相手の「今」を否定してしまうことがあります。「もっと」「これから」という言葉の裏には、「今のあなたはまだ足りない」というメッセージが潜んでいないでしょうか。
「成長しない自由」を奪うことにはなっていませんでしょうか。
「祝い」を届けるために
では、私たちにできることは何でしょう。
長年の試行錯誤から、私なりに見つけた大切なことを、ここでお伝えしたいと思います。
1. 「今、ここ」を祝う
「これから」ではなく、「今、ここ」にいる相手を心から祝福する。それは例えば、こんな言葉になるかもしれません。
「君の視点は本当に助けになる」
「その選択と行動の勇気に感謝するよ」
「ここにいてくれて、とっても心強いよ」
もっとシンプルに
「いつもありがとう。」
2. 共に在ることを伝える
期待ではなく、ただそばにいる。そんな思いを込めた言葉を贈る。
「結果が成功でも失敗でも、一緒に取り組もう」
「相談はいつでも聞くし、僕も相談させてもらうよ」
もっとシンプルに
「大丈夫、僕たちはひとりじゃない。」
3. 自由を願う
相手の未来を縛るのではなく、その人らしい歩みを祈る。
「自分が良いと思うことを、ひとまずやってみよう」
「君はどう思う?考えを聞かせてほしい」
もっとシンプルに
「そのままでいいよ。」
新しい「祝い」の形
実は「祝い」というのは、とても繊細で、奥深いものなのかもしれません。形式的な言葉や、思いつきの励ましではなく、本当に相手の心に寄り添った言葉を探す。そんな姿勢が、今、私たちに求められているように思います。
例えば、こんな風に。
朝、会社で後輩が小さな成功を報告してくれたとき。「すごいじゃない!次も頑張って!」ではなく、「一つ一つの工夫が実を結んだんだね。その過程をもっと聞かせてくれない?」と問いかける。
友人が新しい挑戦を始めたと聞いたとき。「必ず成功するよ!」ではなく、「挑戦する勇気が素晴らしいと思う」と伝える。
子供がテストを終えたとき。点数にかかわらず「ここまでよく頑張ったね。すごいよ、おつかれさま」と声をかける。
私たちにできること
誰かの人生の節目に立ち会えることは、本当に幸せなことです。その瞬間に、心からの祝福を贈れることは、さらに大きな喜びです。
でも、その祝福が重圧とならないように。期待が重荷とならないように。私たちは新しい「祝い」の形を見つけていきたいと思います。
私からあなたへ。あなたから誰かへ。
そうして紡がれていく「祝い」の言葉が、確かな光となって、遠い未来ではなく、私たちの足元を照らしていく。
私はコーチングにおいてもそんなことを心掛けています。
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